ゲキカン!


作家 島崎町さん


わかるよ! わかる。

ひとり静かに黙々と作業をしたい。そうして作るものはだれよりもどんなものよりもよくしたい。だけどできあがったものを人に見られるのはイヤ! という感覚。

けなされそうなのがイヤなのではない。褒められてもイヤなのだ。恥ずかしいからイヤというよりも、なにかもっと根源的な、ものを作ること、作品を作るというのは本人にとってどういうことなのか、そこに結びついているような気がする。

余市紅志高校演劇部『被服室の変』は「第73回全道高等学校演劇発表大会」で優秀賞を受賞した作品だ。1月10日、北海道演劇シーズンの特別プログラムとして「かでるアスビックホール」で再演された。

学校の被服室。ひとり残って課題をこなす男子生徒・千葉。そこに、生徒会に部室を追われた演劇部の女子生徒・岩本がやってくる。静かに衣服を作りたい千葉と、なかなか書けない台本に苦労してる岩本。たったふたりだけの時間がはじまる。

ミニマルな舞台だ。二人芝居、大きな出来事が起こるわけでもない。たまに、外から生徒の楽器演奏が聞こえてくるだけ。たんたんと時間がすぎていく。

そのなかで、千葉と岩本、ふたりが抱えていることが浮かびあがってくる。千葉は自分がつくるものを見られるのがイヤだ。とにかくイヤだ。褒められようが関係ない、イヤだ。

冒頭に書いたように、この感情はすごくわかる。いまや僕は自分の作品をだれにどう見られようがおかまいなし、そういう部分がすり減ってしまったけど、かつては僕も千葉だった。

それは若者特有の恥ずかしさというより、自分のいちばん大元の部分から発生した感情、本能のようなものが見られてしまうからだろうか。あるいは、自分でもすべてを理解しきれていない、本当の姿が知られてしまうからなのかもしれない。

そんな、きわめてあいまいな、言葉で表すことの難しい人間の状態を、この作品は舞台上に出現させている。すごい。すごいなあ。

千葉役の千葉孝也はまったく好演で、微細に揺れ動く感情、彼自身も捉えられない“なにか”への静かな怒りがすばらしかった。

彼は女子生徒・岩本に怒ってるわけではなく、同級生にも先生にも学校にも、特定のなにかに憤ってるわけでもない。いらだつ自分に怒ってる部分はあるかもしれない。だけどとらえどころのない、自分を取り巻く“なにか”に対する怒りをかかえ、その怒りの矛先が定まらないことによって不安定さも見せる。それは「青春」とか「思春期」とか簡単な言葉で表現できるものではなく、そんな陳腐な言葉でくくろうとしたら千葉はやっぱり怒るだろう。その感情はすてきだ。

いっぽう女子生徒・岩本もまた、見えない“なにか”と戦っている。彼女は存続があやぶまれる演劇部で部員を増員するために悩み(それは自分自身というより先輩のためであるところに歪みがある)、演劇部員はまわりから変人として扱われることに怒りを覚えている。そして台本がなかなか書けない!(わかるよ! わかる)

彼女は千葉よりも自分の置かれてる状態を言語化できるのだけど、だからといって悩みが解決するわけではない。むしろ、わかっているけど変えられない、うまくいかないことへのストレスや重圧を受けている。岩本役の岩本えみるも、このいかんともしがたいがんじがらめをうまく表現していた。

前にも書いたようにこの舞台はふたり芝居だ(余市紅志高校演劇部がふたりだけなのだ)。周囲の人物、たとえば友人や先生は出てこない。出るとしても音声だけ。その見えなさが、より千葉や岩本の抑圧や孤独感を浮かびあがらせる。

なにか明快な解決があるわけではない。抑圧はつづき、怒りは消えない。この舞台は、それをそのまま描いているところがすばらしい。高校生の現在地点として。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
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