ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美さん


シアターZOOの舞台上に、大きな子どもの人形が座っている。
岩のように頑なで、その異質な佇まいに思わず後退りしてしまう。
THE36号線「大きな子どもと小さな大人」、公演4日目。連休明けの平日とあって、市内は人がまばらだったけれど、劇場はほぼ満員だった。

市営住宅に暮らす父・B夫と息子のA太郎。
A太郎はじっと座り込んでいるあの巨大な人形で、寄り添うように支える黒子たちによって、積み木遊びを繰り返している。
市営住宅の一室。新型コロナで自宅療養中のB夫と、障がいを持つA太郎が暮らしている。
高熱の中でも頼れるのは自分しかおらず、ふらつきながらA太郎の食事の支度をしたり、おちゃらけてみたり。
窮屈なその部屋の中で、父の記憶に接続するように、A太郎の誕生からの回想が始まる。

回想シーンはめまぐるしいのだけれど、その描写は詳細で丁寧だ。
なかでもA太郎の発達の遅れを知る3歳児健診の回想が印象的だった。
母子手帳には子どもの発達をチェックする項目がある。
ひとり歩きをしたのはいつですか、ママやブーブーなど意味のあることばをいくつか話しますかetc。成長に合わせた質問に、親たちは「はい・いいえ」で答えていく。
少しずつ「いいえ」の項目が増えていくその不安はきっと、計り知れない。
「他の子とくらべてのんびり屋さんなんだ」と「もしかしたら何かあるのかもしれない」を天秤にかけながらの3歳児健診の日を迎える母の気持ち。医師とのやりとりの中に、そうしたたくさんの親たちが抱える孤独や不安を想った。

A太郎が見る世界の様子も圧巻だ。感覚過敏で周囲の音が大量に刺さってくる、そして私たちが素通りするような些細な煌めきに全感覚をフル稼働するように全体で感動する。
小さな舞台上に広がる、敏感で繊細な大きな感情の起伏。A太郎の世界が客席全体を飲み込んでいくよう。父が市営住宅の一室で、ある長い旅に出る描写もまた、何度も見たくなるほどの素晴らしい演出だった。

時にコミカルさを交えるので、客席からは幾度も笑いが起こる。
この回の日替わりゲストは劇団千年王國の櫻井幸絵さんで、見事な獅子舞(!)に心底笑った。(魅力的すぎる・・・!)

そうやって、笑いながら、考えながら、想像をしながら、客席に座りながら自問自答を繰り返す。
なんて誠実な舞台なのだろう。

寛容さとは何だろうか。私自身、さまざまな情報を少しだけつまんで、まるくて優しげでそれっぽい言葉を選びとって、頷くふりをしているだけじゃないか。
公園の回想に出てくる、とある親と自分に何ら違いはないのではないか。
帰り道にいろんなことをずっと考える。今、こうしている間もずっと考えている。

演劇シーズンで「冬」とつくのは今回が最後とのこと。
流行病(インフルエンザ・・・)にやられて、完走できなかったのが無念極まりないけれど、雪の積もる札幌で、劇場を目指して歩く道中も、観劇後に自身の感情を振り返りながら歩く帰り道も、とてもかけがえのないものでした。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
漫画家 田島ハルさん

札幌演劇シーズン2024-冬で上演された3作品はそれぞれに作風は違いながらも、人と人との関わり合いが描かれていた。弦巻楽団「ピース・ピース」は母と娘を。OrgofA「Same Time,Next Year-来年の今日もまた-」は男女のパートナーを。そして、THE36号線「大きな子どもと小さな大人」は父と息子の物語だ。

舞台の初日。さっぽろ雪まつりやQUEENのライブの影響もあってか、とにかく人がごった返す街中を潜り抜けて中島公園にある劇場のシアターZOOを訪れた。
ステージ上にはタイトルの通り、「大きな子ども」の人形が待ち構えていた。体育座りのように膝を曲げて座っているが、大人の背丈ほどかそれ以上に大きいかもしれない。うっすらと苔で覆われたようなくすんだ緑色の身体に、どこを見ているのかわからないあやふやな瞳で、夕暮れ時の、すすけたふすまのある小さな部屋の中に居る。けたたましい蝉の声と鍵盤ハーモニカの音色が流れ、物語が動き出した。

体の大きな息子A太郎とその父親B夫は市営住宅の一室で二人暮らし。父は流行病を患っており、心身共に弱っている様子だ。看病をしてくれる人はここには居ない。高熱に浮かされた父が思い出すのは、息子が生まれた時のこと、息子に発達の遅れを知った時のこと、他人から心ない言葉を受けた時のこと、家族との思い出がとめどなく走馬灯のように広がっていく。

印象的だったのは、小学生くらいになったA太郎が見る世界の場面だ。五感から受けとる刺激に過剰に強く反応してしまう感覚過敏のA太郎は、刺激の多い場所ではパニックになってしまう。また、繊細な香りや光にも深く感動する感受性も持ち合わせている。A太郎が感じている強い恐怖や溢れる感動が鮮明に表現されており、まるで自分がA太郎に憑依して疑似体験をしているようだった。
障がいをもつA太郎の目でも、その家族の目でも見ることができる。どんなことに困っているのか、どんな問題が起こりうるのか、社会との関わり合いなど、今までに知り得なかったことだった。この物語は、作・演出・出演の柴田智之さんが福祉の現場で約13年間働いた経験から作ったものだという。重苦しくなく押し付けることもなく、誠実に。丁度良いゆるさと明るさで、生きづらさを抱えている人達の世界を見せてくれた。

日によってゲストが変わるワンデイゲストも見どころ。初回には斎藤歩さんが登場し、柴田さんとの絡みには劇場の空気が揺れるほどの爆笑が起きていた。他にも豪華なゲストが登場予定とのことで、一度の観劇だけでなく何度でも楽しみたい。

かとうしゅうやさんと横尾寛さんの人形操作によってA太郎は生を吹き込まれている。手や足、首の動きなど本当に生きているみたいだから不思議だ。その生の躍動は最後の場面で爆発する。表情は動いてないはずなのに、何故か微笑んでいるように見えた。うつむきがちだった顔は前を見据え、キラキラと澄んだ瞳が眩しい。最初に感じた近寄りがたさは消えて、私は彼の手を握りたくなった。もっとも、彼の体は大きすぎて届かないのだけど。この小さな部屋も劇場も飛び越えて、広い世界を駆け抜けてほしい。この作品が多くの劇場で上演されることを願っている。きっとこの感動は日常を世界を変える、優しい力を持っているから。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター。2007年に集英社で漫画家デビュー。朝日新聞朝刊道内版で北海道の食の魅力を紹介するイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」、角川俳句で俳画とエッセイ「妄想俳画」など連載中。菓子処梅屋さんの「北海道梅屋名物しゅうくりぃむ」のパッケージイラストを担当。X(旧Twitter)とInstagramで読める漫画「ネコ☆ライダー」を描いています。
X/Instagram
作家 島崎町さん


あたたかい拍手だった。

いままで観てきた舞台で、賞賛の拍手はたくさんあった。だけどこんなにもあたたかい拍手が鳴り響く舞台は、そうはなかった。

この拍手は、客席から舞台へ向ける拍手というよりも、観客ひとりひとりが舞台と一体となり、苦しみや喜びをわかちあった拍手だった気がする。

THE36号線『大きな子どもと小さな大人』。コロナ禍まっただなか、市営住宅の一室で、新型コロナに罹患した父親と障がいを持つ子どもが暮らしている。

子どもは巨大だ。2~3メートルはあるだろうか。発達の遅れがあり巨人症でもあるという設定なのだが、実際にこの大きさの子どもがいるというよりも、この子が外の世界からどう見られているかを端的に表しているんだろう。

大きな音や他人からの接触に過敏で、ときに暴力的な反応をしてしまい世間から疎まれる存在。肉親である父親や母親も手を焼いてしまうこの子は、周囲の目というフィルターをかけると巨大な姿に見えてしまうという表現。すばらしい。

子どもは雨にすら過敏に反応してしまい家に閉じこもっている。いっぽうの父親は新型コロナにかかり、隔離でこれまた家に閉じこもっている。

1つの部屋の中にふたつの閉じこもりがあるユニークさと同時に、この時期、世界中のあらゆる場所で隔離・閉じこもりが発生していたことを思うと、この子は別に変じゃなく、ほら世界中みんな同じでしょ? と言われてるようで面白い。

親子の住む一室をメインに物語は進むが、父親の回想がはじまると時間をさかのぼり、さまざまな時代が語られる。育児、出産、成長……子どもの異変や世間との軋轢、父親の苦悩。

時を超え、場所を移し、まるでジェットコースターのように揺れ動く物語は、最終的にそんなところまで行くのか! というところにまで到達する。父親のとある旅の最終地点、僕はその場面が本当に好きだ。

僕の観た初日は満席。終始笑いにつつまれ、終演後は拍手が鳴り響いた。あたたかい拍手だ。観客という傍観者ではなく、排他的な他者ではなく、この大きな子どもと小さな大人と一緒にいられた、そういう一体感のある拍手だった。

作、演出である柴田智之は、過去の演劇シーズンで『寿』という舞台を公演した。これは高齢者福祉の現場で人間の生と死を見つめたひとり舞台で、深い感動を得たのを覚えている。当時の「ゲキカン!」を「札幌観劇人の語り場」に転載してあるので興味がある方は読んでもらえたらと思う。
http://kangekijin.com/
柴田は高齢者福祉、障がい者福祉の現場で働き、自ら経験したものを題材にして2つの作品を作った。演劇として描かれにくい、しかしこんなにも大事な世界を多くの人に伝えている。それがいま札幌で観られることのすばらしさをどう書いたらいいのか。とにかく観てください。

役者としては父親と過去パートの母親を演じ、苦悩や怒りをにじませ、ときに爆発的なパワーを発揮する(すごい!)。また、語りを担当する現在パートにおいては、どこか達観したような雰囲気もただよわせていたのが印象的だった。

過去パートの父親を演じたかとうしゅうやは、子どもの障がいや世間、あるいは迫り来る現実に対応できずにいらだちを募らせる。その生々しい苦悩が客の心を舞台上に引き寄せる。僕たちも彼と一緒に悩み、苦しみ、ときに喜ぶ。

祖父や助産婦を演じた横尾寛は急きょ代役で出演となったとは思えない第三の男だった。彼の出番がアクセントとなってリズムや笑いが生み出される。その間、テンポ、たたずまい、恐れ入った。

ある人物を演じた小黒結太(オオタコタロウとのWキャスト)は、舞台を一変させる風を吹かせる。何役なのかは書かないが、彼が出ている間、僕は胸が締めつけられるような思いがした。

初日の日替わりゲストで登場したのは斎藤歩(札幌座)。認定調査員という役で部屋を訪れるのだが、そこでの驚くべき展開に客は笑い、僕も笑い、場内は盛り上がり、劇場は一瞬にして彼のものとなった。

さらに舞台上手で音楽を演奏する烏一匹(ムシニカマル)。客席には音楽に身を揺らし足踏みをする者までいた。まさにライブとしての舞台を完成させた。

終演後、いい舞台を観たなあと思って劇場を出ると、外は2月の寒い夜だった。だけど僕の心はあたたかい。消えない火が灯ってる。あの大きな子どものように。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん


シアターZOOに入るとすでにステージには安アパートの一室風のセットと、そこに不気味にうずくまる巨大な人形が置かれていてギョッとさせられる。
開演時間まで観客はその人形と向かい合い、これから何が演じられるのか、期待と少し不安も感じる。この時間が、今回の作品を観るにあたって必要なことのように思えるので、これから観に行こうと考えている皆さんは15分前までには着席しておいたほうがいいかも。

「札幌演劇シーズン2024・冬」のトリを飾るTHE36号線公演「大きな子どもと小さな大人」。
開幕すると、舞台上の巨大な人形が実はA太郎という名の子どもであることを知る。
そしてその父親。古ぼけたアパートの一室にふたりは一緒に暮らしている。
A太郎は生まれつきの障がいを持っている。
感覚過敏ですぐにパニックを起こす自閉症のA太郎が、なぜか巨大化してしまっているという奇妙な「現在」から舞台は始まり、回想シーンによって、出産から症状が出始め次第に母とも暮らせなくなり父と二人だけとなった経過が見えて来る。
舞台を圧迫するほどに巨大なA太郎が黒子の手で表情豊かに動かされる。一見日常から大きく外れた設定の中に、過去の記憶が何度も挿入され象徴的に時にリアルに演じられてゆく。これは想像以上に強烈な作品だ。

緊張緩和的な笑いがかなり入っているものの、正直これは重くつらい内容だった。
しかし、自閉症の子どもを描く方法としては、これ以上ない脚本であり演出だとも感じた。
障がい児のデイサービス施設で長く働いてきた経験を持つ柴田智之さん(作・演出・出演)だからこそ作れた舞台。非日常的な設定や象徴的な演技が、どれも観客にむしろ現実的な印象となってつぎつぎと突き刺さってくる。

この舞台で描かれている世界は、なにも特別なものではない。私の親族にも障がい者がいる。そういう人は多いだろう。どこにでもある日常と言ってもいい。
日常ゆえに、親も子も当事者はいつも心の張り裂ける思いをし続けている。
〈それも個性と思って〉という言葉をよく聞くが、それは間違っていないけれど、そう思ってみたところでけして気持ちが軽くなるわけではない。いつも重くのしかかってくる現実がある。

狭い部屋にいる巨大な子どもと無力な大人、という設定が心の苦しみから逃れられない現実を的確に描き出している。多くの言葉を並べ立てるよりはるかに雄弁だ。
コミュニケーションの術(すべ)を奪われていても、人格そのものが壊れているわけではない。ただコミュニケーションが取れないという、そのことだけが外面となって現れている。
「普通」とか「通常」とかいう表面的な次元ではないところで、実は心を通じ合わせることができるはずだ。

柴田さんが提示して見せた現実には、解決というものはないのかもしれない。だからこの作品は理屈としてのオチを求めていない。
ここに主張があるとすれば、それは「生きる」ということだろう。
生きる、それだけがこの舞台のテーマだ。
この作品は笑いによって救われている面もあるが、喜劇ではない。
しかし、けして悲劇でもない。
「生きる」というテーマが、最後に舞台を一点激しく光らせる。

今回のシーズンで上演された3作品はどれも全く異なるアプローチの野心作ばかりで、演劇とは何かを観る者に問いかけてくる内容だった。
その意味で最後のこの作品は、演劇に何ができるのか(何もできないんじゃないかという疑問も含めて)という問いでもあり、片づかぬ思いが終演後に長く尾を引いた。

パンフレットの挨拶文に柴田さんの書いている「お席を立った後にこの舞台が皆様の会話の種となり、生活の中で何かが芽吹き、育ってゆくこと」という思いが確かに心に伝わってきた。

音楽担当・烏一匹さんのさまざまな楽器を駆使しての生演奏や、「認定調査員」という役で毎回日替わりゲストが登場するなども見どころ。
どの回も満席になりそうな勢いなので、予約を取ってのご来場をお勧めいたします。
夏・冬の2期に分けての「演劇シーズン」も来年度から夏に集めて一新されるようです。この形での上演はこれが最後。
ぜひお見逃しのないように。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
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