
北海道千歳高等学校 演劇部
「ぐるぐるランドリー」
の感想
高校演劇の新たな「古典」になるかもしれない。
千歳高校演劇部『ぐるぐるランドリー』。前半はじっくりと状況が語られていく。舞台は町のコインランドリー。経営者の孫の男子高校生と、別の学校の女生徒たち。彼女たちは、学校祭で踊るための衣装が“なぜか”絵の具で汚れてしまったために、洗濯にやってきた。
だけどこのランドリー、洗濯機が不調でお金を入れても動いてくれない。店を管理してる高校生男子が蹴りを入れると、ちょっとは動くがすぐ止まる。唯一元気そうな洗濯機があるが、おばちゃんがやってきて占領してしまう。どうしよう、このままではリハーサルに衣装が間に合わない。
メインのストーリーは衣装の洗濯話だ。だけど大事なのはその周囲。コインランドリーに入れ替わり入ってくる生徒たちの人間模様、学校祭をめぐるいざこざ、隠している気持ち、恋愛、そして心の闇が描かれていく。
それぞれが抱えたものが、過剰でもなく説明的でもなく、徐々に明かされていく。そこがいい。後半から終盤にかけては、これまで語られてきたものがぶつかったり絡み合ったりして、どんどん物語が動いていく。そうして最後、それぞれの気持ちはどうなるか。よどんだ心はきれいになるのだろうか。
本作は第75回全道高等学校演劇発表大会で最優秀賞を受賞した。じっくりしっかりした物語でラストまで目が離せない。高校生の心模様を描く良作なのだけど、意外やミステリー的な謎解きもあって、見せ方や描き方を変えれば学園ミステリーの短編にもなりそうだ。
そして、ここが重要なのだけど、この舞台は“いま”を描いている。K-POP好きの生徒がいて、学校祭で踊るのはパキスタンのダンスで、SNSでは人種差別の投稿が行われている。社会の排他的な風潮は高校生にも影響をおよぼしている。いまを生きる高校生のなかにも「闇」はあって、コインランドリーでみずからの闇と向き合い汚れを落とそうとする姿には心を揺さぶられた。
演技としてはまだ演じているな、という部分や動きの固さはある。だけど、しっかり心を描くドラマ性や社会性、謎解き要素に加え、お笑いのコントやダンスシーンもあって、いろんな要素で楽しませてくれる舞台だった。いまを描くがいつの時代にも通用する、高校演劇の「古典」になる作品かもしれない。
本作は2026年7月に行われる「あきた総文2026」で公演される。そののちもさまざまな場所でいろんな人によって公演される演目になっていくかもしれないし、そうあってほしいと思う。
北海道苫小牧東高等学校 演劇部
『流れる川に石を投げる』
の感想
〈ゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。〉
『方丈記』を思わせるような、ゆったりとした時間のなかに人生のいくつもの断片が織り込まれていく舞台だ。
登場するのは、川辺で水切りをする青年、都会からひさしぶりに帰郷してきた友人、元バイト先の同僚、かつての顧問の先生、部活で後輩との関係に悩む生徒、その先輩たち……。ほかにも、話に絡むわけではない“ただの通行人”たち(もちろんひとりひとりに人生がある)が川辺を歩いていく。
それぞれが、まるで川の流れのようにあらわれて、消えていく。なにが起こるわけではない、しかし彼ら彼女らのなかには“なにか”が起こっている、派手な物語では描かれないような微細な揺れ動きが。
世間を揺るがす一大事でもなければ、世界の危機に立ち向かう姿でもない。だけどいまこの瞬間、当人にとっては切実な問題を抱えているのだ。
苫小牧東高校演劇部『流れる川に石を投げる』。いまを生きる人たちの姿を真摯に描く。苫小牧東高校といえば昨年『やっぱり、こっちがいい』(やぱこち)が全道高等学校演劇発表大会で最優秀賞を受賞し、「北海道高校演劇Special Day」でも観劇した。
『やぱこち』は才気あふれる構成のなかに現代性をたくみに入れこんだ内容で大いに興奮した(そのときの感想は→https://s-e-season.com/2024/gekikan/koukousei.html)。おなじ高校の舞台を2年連続で観ることになったのだけど、『流れる川に~』は一転、奇をてらわず静かでゆったりと、ゆく川の流れのような舞台だ。
まったくタイプの違う、すぐれた書き手がつづけて現れたのもおどろきだが、苫小牧東高校演劇部がその脚本を実に見事に舞台の上に出現させていたのもうれしかった。
高校演劇において、技術や創造性がどのように継承されていくのか僕はまったくわからないのだけど、2年つづけておなじ高校の舞台を観たことで、ああ、しっかり受け継がれているんだなと確認できた。同時に、やはり川の流れのように、おなじ場所にはいないんだなとも思った(そりゃそうだ、1年後の川を僕は観ているのだから。そこにはもう、おなじ水はない)。
タイプの違う2つの舞台だが、どちらも “いま”あるいは“いまの自分”を見つめている点はおなじだ。それが『やぱこち』ではエンターテインメント的に、『流れる川に~』では純文学的に表現されていく。
たとえば本作では水切りという遊戯が象徴的に使われる。遠くに行きたいけど行けない、そんな思いを抱えた青年は石に自分を投影しているのか、あるいはもどかしさを振りきるために投げているのか。ひょうひょうとした女生徒は、水切りよりも石の形の方をたのしみ出す。大人である顧問の先生が水切りをしないことについても少し考えてしまう。
舞台構造もおもしろい。かつてエッシャーは、一枚の絵の中に水の上、水面、水の中の三つの世界を同時に描いたが、本作もベンチのある川辺の道、石のある川辺、川の水面という複数の世界が描かれる(そして空もだ)。
ごく私的な、狭い範囲の話だと思わせながら視野の広さのある脚本と、それを作りあげた演劇部はすばらしい。
つかのま自分も、あの川辺にいるような気がした。そして石を拾いあげ、すっと水面に投げる。いくつ跳ねるだろうか。
本作は第75回全道高等学校演劇発表大会にて優秀賞を受賞し、2026年3月に行われる第20回春季全国高等学校演劇研究大会〈新潟大会〉に出場する。